電子書籍フォーマットEPUBの日本語拡張(解説) *

 大修館書店「漢文教室」第197号より (一部加筆)
イースト株式会社 下川和男
 日本の書籍も雑誌も新聞も、この「漢文教室」も、私たちが目にするほとんどの出版物は縦書きです。
 「クロワッサン」も「DIME」もコンピュータ系の「週刊アスキー」でさえ縦書きです。週刊アスキーの創刊前、社内で縦組み、横組みの大議論があり、その結果、縦組みが一般ユーザに受け入れられ販売部数が伸びたとのこと。
 コンピュータの雑誌は、アルファベットや数字が多いので、読みやすさだけを考えれば、横組みが良いのですが、読者の慣れにはかなわないようです。

■中国も横書き
 漢字の国、中国はどうでしょう。北京にある対外経済貿易大学の森田六朗先生と毎年お会いし、市内を探訪しています。清朝の国立大学のあった「国子監」で「十三経石刻」という儒教の重要な教典を印刻した石碑を見たときには圧倒されました。もちろん、すべて縦書きです。
 しかし、中国最大規模の書店「北京図書大廈」で、縦書きの書籍を探すのは至難です。中国では、書籍も雑誌も新聞も横書きなのです。これは、共産政権よりも前、1917年に銭玄同という人が始めた文化運動に端を発しています。銭は「新青年」という新聞に初めて横書きの文書を掲載したとのこと。銭の主張は、横書きが書きやすく読みやすい。英文も全部横書きだ。というもので、魯迅なども賛同して、縦書きが徐々に減り、横書きになったとのことです。こんな詩も残しています。

人自左右相并,而非上下相重。
试立室中横视左右,甚为省力,
若纵视上下,则一仰一俯、颇为费力。
以此例彼,知看横行较易于直行,
且右手写字,必自左至右,均无论汉字,
西文、一笔一势,罕有自右至左者。

[詩の大意] (イースト 張 暁宇)
人は上下に重なるではなく、左右に並ぶ。
例えば、部屋の中で、左右を見るのは容易であるが、
上下を見るには、頭を上下に動かし、ちょっと手間がかかる。
この例から、横に行を読むのが、縦に行を読むより簡単である、
それに、右手で字を書くなら、必ず左から右へ、漢字を並べる、
英語では、一画一画、右から左へ書くことは稀である。

■日本は蚊帳の外
 10数年前まで、マイクロソフト、アドビなどの巨大なソフトウェア企業がアジアに市場を拡大する際、まず日本に進出し、そこで2バイト化と呼ばれる漢字対応を追加し、その後、中国、韓国などに進出していました。
 ソフトウェアで表示されるメッセージや操作方法のヘルプ文書、そして蓄積されるデータなどの2バイト化作業と同時に、マイクロソフト ワードなど文章処理が必要なソフトウェアの場合は禁則、ルビ、縦書き、右開き、縦中横など日本語組版も実装されていました。
 しかし、中国の国力が高まるとともに、日本が素通りされ、いまでは欧米と中国で稼働するソフトウェアの、メッセージやヘルプだけ日本語にしたものが日本に提供されています。そうなると先に挙げた、縦書き、禁則など日本固有の機能は入りません。実際、私たちが毎日使っている、インターネットを閲覧するためのブラウザというソフトも、禁則はありますが、縦書きにはなりません。ルビは中文の拼音(ピンイン)でも使用するので、最新のブラウザ仕様であるHTML5には入っています。

■世界のブラウザと読書端末に縦書き、ルビを
 2009年11月、出版物のデジタル化を1986年から推進している一般社団法人 日本電子出版協会で「EPUB研究会」を組織しました。EPUB(イーパブ)とは、米国のIDPFという出版社、制作会社、コンピュータ企業、ソフトウェア企業などで構成される団体が策定した電子出版物の標準仕様で、その当時、米国ソニー、アドビ、グーグルなどが採用していました。日本から大きな声を挙げないと、縦書きがEPUBの次期バージョンであるEPUB3に入らないことが明らかだったので、世界に「縦書き」と叫ぼうと思ったわけです。
 EPUBは、ブラウザの文書データHTMLやスタイルを定義するCSS、文書に含まれる写真や図版などを、一つのファイルにまとめたものです。実際の縦書き、禁則などの仕様策定はCSSに含まれることになります。つまり、EPUBはW3Cというインターネットの大半の標準化を行っている組織のHTMLやCSSのいいとこ取りをしています。CSSに日本語拡張仕様を入れれば、EPUBだけだはなく、ブラウザでの縦書きや縦中横も可能になります。
 昨年11月には総務省の「新ICT利活用サービス創出支援事業」に採用され、政府の予算でEPUB日本語拡張仕様を推進することができました。この頃にはアップルも採用し、EPUBは名実ともに世界標準の電子出版フォーマットとなっており、世界への働きかけを強めることができました。
 今年1月、アップルとグーグルが推進する、WebkitというHTML、CSSの描画エンジンが日本語拡張仕様の実装を開始し、我々はサンプル文書「草枕」を発表しました。3月に登場したChrome10というグーグルの標準ブラウザでは、縦書きが実現されています。読書端末や電子書籍リーダーソフトウェアの日本語処理を推進していたら、ブラウザの縦書きまで実現できた格好です。
 順調にプロジェクトが進んだ理由は、策定メンバーのヤル気と実力、そして「日本語組版処理の要件」という仕様書の存在です。この仕様書は日本語組版の詳細を日本語と英語で解説した、印刷すると250頁にもなる資料で、W3Cのサイト(http://www.w3.org/TR/jlreq/ja/)で公開されています。

■返り点は何処
 2010年4月、14項目のEPUB日本語拡張要求仕様を公開しました。その中に複雑ルビと呼ばれる、返り点として使えるルビが入っています。しかし、策定を急ぎ、HTML5のルビ仕様を使ったため、残念ながら14項目中唯一、実現できませんでした。
 世界の電子出版の潮流に、日本だけ取り残されるのは困るので、短期間で実現できる道を通りましたが、EPUB3の次の仕様を策定する動きもあるので、積み残しとなった仕様は、少しずつ実現させたいと思っています。
 EPUB3は、多言語化や最新のブラウザ仕様であるHTML5、CSS3対応が主な改善点ですが、日本語組版にも対応させることができました。また、電子書籍リーダーや読書端末だけではなく、Chrome、Safariなどのブラウザでも縦書き、ルビが可能になります。日本語フォントは、ウィンドウズパソコンやMac、iPhone、iPadなどは、世界で販売される製品のすべてに標準搭載されています。これに日本語組版も加わることになり、世界中のパソコンやタブレット型端末、スマートフォンなどで、日本の文章を縦書きで読むことができるようになります。
 総務省プロジェクトのテーマの一つに「日本の文化を世界へ」とありますが、その基盤を作ることができました。このタイミング逃せば、将来にわたって、縦書きは実現できなかったと思います。
 返り点は少し先になりますが、日本のコミックも吹き出しは縦書きなので、そのあたりから徐々に、日本の文化をEPUB3で普及させたいと考えています。
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